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あっ!お母さんかも!

以前書いた安西均さんの詩「新しい刃」のブログTwitterで紹介したところ、ある子育て中の母親からリアクションがあり、この詩は母の息子に対する思いであっても全然おかしくないと気付かされた。30年以上に渡って「父」が息子を眺めている姿を想像していたが、言われてみれば「父」とはどこにも書かれていない。先入観というものは恐ろしい。安西氏の深い言葉の使い方に学ばされる。

 

戯曲や台本の解釈でも同様の事がある。自分が描いていたイメージを根底から覆されたのは1度や2度ではない。決めつけが許されるのは、作品の演出家もしくはプロデューサーだけかもしれない。

 

演出の良し悪しは別にして、演出家の方針に従えないなら役を降りるべきなんだろう。私自身、マイク前であれ舞台であれ映像であれ、出演する限りは無条件で演出に従う。疑問点があって方向性を確認することはあっても、何か新しい提案をすることはまずない。とはいえ、私も一度だけ怒鳴った事がある。若い演出だったというのはあるが、やってはいけない事だった。同じ過ちは繰り返すまいと心に誓っている。演出サイドの目的と役者サイドの思考は違うはずだ。

 

閑話休題

思春期の息子を見つめる母の眼差しは美しく語れる

逆に、年頃の娘を父目線で語るのはセンシティブで難しそう

 

でも、嫁ぐ娘への思いは父を詩人に変身させてくれる

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