社会的保護の必要性
オモシロイわけでも無く、かといって、読んでる人の役に立つわけでもない話は極力書かないようにしてるのだが、さすがに触れておきたい記事をみつけた。
nikkan-spa.jp
姉は、障害のある妹の施設入所を躊躇していたのだろうか。
生活保護を受給しないで、働いて生計を立てようと考えていたのだろうか。
施設や行政に迷惑をかけずに姉妹二人で何とか生きていこうとしていたのかもしれない。他社の記事によると両親と死別し二人暮しだったとか。生活保護の相談に3回も行ったりしてたのだから相当苦しい状況だったのだろう。今回のケースがどうだったかはわからないが、財政的理由から生活保護の申請を受け付けたがらない自治体もあると聞く。
「資本主義社会は自由競争社会 自らの権利を主張しない人達まで守る必要は無い」
というのは確かに一理ある考え方だし、現実に日本の法体系はそういう理念で作られてる。生活保護も権利の1つなのでそれを主張しないと権利は得られない。行政の方から生活保護が必要な世帯を調査するのではなく、住民からの申請があってはじめて、行政が支給の可否を決定する。だから、今回の行政の対応も問題があるかどうかはわからない。
ただ、3回も窓口に来ていた姉に対して、行政側が適切なアドバイスをしていたのかどうかは気になる。世の中、自らの権利を主張出来る人ばかりではない。様々な扶助制度を利用出来るよう誘導が必要な人達もいる。
苦しい思いをしているのはこの姉妹だけではないという意見もあるだろう。考えてみれば声優だって全員がそれだけで生活しているわけじゃないし、スポーツ選手だって芸術家だって、それこそ一般の会社員だって競争にさらされて生活している。何もしないで成功が転がり込んでくることなどまずない。皆必死の思いで何かアクションを起こしたり、結果を出したりして、栄誉や金銭や満足感を得ていく。
しかし、いかに自由競争社会とはいえ、生きるか死ぬかという境界線に居る人達にまで原理原則を適用しなくてもとも思う。生死の境界線を越えてしまいそうな人には、社会の方から手を差し伸べてもいいのではないだろうか。